具体的な対象を持つことの意味3+1(普通の個人が、ブログのある毎日を送り続ける、ということ)

こんにちは。ブログ「単純作業に心を込めて」の彩郎です。

連載「普通の個人が、ブログのある毎日を送り続ける、ということ」を続けます。

前回は、ブログ「単純作業に心を込めて」にとって、WorkFlowyがどんな存在なのか、考えてみました。

これを踏まえて、今回は、多少抽象的に、ブログにとって具体的な対象を持つことの意味を考えてみます。

戦略的な3つの意味

ブログにとって、具体的な対象を持つことには、どんな意味があるのか。

ブログの戦略として考えたときに浮かぶのは、次の3つです。

  • (1) より詳しい情報を提供できる
  • (2) 誰かの役に立てる可能性が高まる
  • (3) セルフ・ブランディング

(1) より詳しい情報を提供できる

ひとつの対象のことを書き続けていけば、自然と、その対象について詳しくなります。

特別な才能や特権的な立場は必要ありません。普通のやり方で、誰もがアクセスできる公開情報を整理するだけでも、有用な情報をまとめることができます。

ひとつの対象に集中すれば、情報をまとめるためのエネルギーが散逸しないので、ブログで公開する情報は、どんどん詳しく、わかりやすくなります。

より詳しい情報を提供できる。当たり前のことですが、ブログにとっての具体的な対象を持つことの意味は、これが出発点です。

(2) 誰かの役に立てる可能性が高まる

ブログで情報を公開するのは、誰かの役に立つためです。理由のすべてではないにせよ、理由のひとつではあります。

ある情報を求めている誰かがいたとして、自分がブログでその情報を公開していたなら、その誰かが自分のブログの情報を見つけてくれさえすれば、自分のブログはその誰かの役に立つことができます。

そして、今のウェブには、検索とSNSがあります。だから、情報をブログに公開しておきさえすれば、何かしらの道すじで、その情報を必要とするその誰かは、自分のブログに公開されたその情報にたどり着いてくれるかもしれません。

ひとつの対象のことを書き続け、その対象についてのより詳しい情報を公開できれば、その分、その情報を必要とする誰かにとって、より大きな価値を生み出すことができます。ひとつの具体的な対象を持って、その具体的な対象に集中することは、誰かの役に立つ可能性を高めるための戦略でもあります。

(3) 「テーマ→名前」のセルフ・ブランディング

ウェブで情報発信をする目的のひとつは、セルフ・ブランディングです。

倉下忠憲さんは、『FacebookとTwitterで実践するセルフ・ブランディング』において、セルフ・ブランディングには、「名前からのイメージ」と「イメージからの名前」という2つの方向がある、という指摘をされています。

『Facebook×Twitterで実践するセルフブランディング』(倉下忠憲)

名前とそれに関連づけられるイメージがブランドですが、このイメージには二つの方向性があります。一つは「ブランド名」がもたらすイメージ。もう一つは関連する事柄からイメージされる「ブランド名」です。
『FacebookとTwitterで実践するセルフ・ブランディング』pp.47-48

つまり、

  • 名前からのイメージ・「名前→テーマ」
    • ブランド名がある特定の事柄を想起させる
    • 例:「「単純作業に心を込めて」といえば、WorkFlowyのブログだよね。」
  • イメージからの名前・「テーマ→名前」
    • 特定の事柄がブランド名をイメージさせる
    • 例:「WorkFlowyといえば、「単純作業に心を込めて」だよね。」

という2方向です。

このうち、どちらがより強いセルフ・ブランディングかといえば、「テーマ→名前」です。「テーマ→名前」のイメージを定着させるのが、セルフ・ブランディングにおけるひとつの目標到達点となります。

とはいえ、いきなり「テーマ→名前」のセルフ・ブランディングを達成することはできません。まずは、テーマと名前を結びつけるところから始めることになります。

まずは、名前とイメージを結びつけることがスタートになります。そして、それが「ブランディング」の基本になります。
『FacebookとTwitterで実践するセルフ・ブランディング』p.48

そこで、具体的な対象です。

具体的な対象についての情報をくり返し公開すれば、ブログの名前とその具体的な対象との結びつきを作ることができます。具体的な対象についての情報が現時点でウェブにそれほど存在しないなら、ひょっとすると、一足飛びに「テーマ→名前」の結びつきまで達成できてしまうかもしれません。

このように、具体的な対象を持つことは、ブログのセルフ・ブランディングの出発点となります。

なお、ブログのセルフ・ブランディングというと、「普通の個人のブログにセルフ・ブランディングなんて必要ない」という意見も出てくるかもしれません。実は私も、そう思っていました。セルフ・ブランディングのことを、自分を売り込むことのようにイメージしていたためです。

でも、そうじゃありません。セルフ・ブランディングの本質は、自分の持ち味を発揮することと、誰かに価値を見い出してもらうことをつなぐための環境を整えることにあります。

私はこの連載やブログで、くり返し、「ここにいたんだ」ということを書いています。セルフ・ブランディングとは、「ここにいたんだ」に至る合理的な戦略にほかなりません。

具体的な対象を媒介にして、考える

ブログの戦略として考えたときに浮かんだ意味はここまでに紹介した3つなのですが、これとちょっと視点を変えて、

  • 具体的な対象を、自分にとっての切実なことを考えるための媒介にする

ということもあるように思います。

普通の個人がブログのある毎日を送り続けるにあたって、考えるため、は、大きな理由になります。

誰かの役に立つ情報を発信する、アフィリエイトやAdSenseから新しい収入源を得る、出会ったことのない人と知り合ったり第三の場を獲得する、などは、ブログが達成しうる大きくてすばらしい可能性です。でも、これらは、一朝一夕にはいきません。それなりの資源を投下する必要がありますし、誰かの助けや運も必要です。意外とハードルが高いのです。

これに対して、考えるため、を実現するハードルは、ぐっと低くなります。必要なのは、記事を書き上げることだけです。ずっと現実的で、自分次第で確実に達成できます。この意味で、普通の個人がブログを続けていく上で、考えるため、は、大きな理由になるのです。

考えるテーマは、なんでもかまいません。誰かに強制されているわけでもなく、何かを達成しなければいけないわけでもないのですから、自分にとって切実な何かのことを、好きなだけ考えればよいはずです。

でも、自分にとって切実な何かを考えているだけでは、ともすれば、考えが堂々巡りになってしまったり、ひっかかりが解けなかったりすることもあります。

そこで出てくるのが、ブログにとっての、具体的な対象です。

西研さんは、『実存からの冒険』で、自己了解のひとつのあり方として、「批評としての自己了解」という方法を紹介しています。これは、哲学や文学や音楽など、自分の外にあるものを媒介にして、自分の中にあるひっかかりや、自分という存在にとっての切実なことを掘り下げていく、という方法です。

実存からの冒険 (ちくま学芸文庫)

存在の危機といえるほのおおげさなものでなくても、私たちはどこかでさまざまなことがひっかかっていたり、いろんな傷を持っていたりする。そういうことを、哲学や文学や音楽などを媒介にしながら考えようとすること。そうやって自分のひっかかりやこだわりをほどいていくこと。これは、そのこと自体に喜びがある。自分がわかってくる、という喜びと、新しい方向がみえてくる喜びである。
『実存からの冒険』pp.245-246

自分のいままでや現在をなんども考えてみる、という内省の方法だけでは、自分はなかなかみえてこないことも多い。批評というやり方は、共感や反省をもとにして自分を確かめられるということがいいところなのだ。
『実存からの冒険』p.246

自分の外にある具体的な対象についての文章を書き続けることによって、自分の価値観や自分の生き方などを、少しずつ掘り下げていくことができます。この方法は、下手をするとポエムのようになってしまいがちなテーマについての考えを進めていく上で、有効です。

そんなわけで私は、

  • 具体的な対象を、自分にとっての切実なことを考えるための媒介にする

ということを、ブログが具体的な対象を持つことの意味のひとつだと考えています。

—編集後記—

久しぶりの更新です。

アシタノレシピは、前回と前々回、お休みさせてもらいました。ブログ「単純作業に心を込めて」とTwitter(@irodraw)も、ここ2か月ほどは、ほとんど眠ったままです。彩郎という分人の構成比率がぐぐっと下がっている状態だといえます。

深刻な事態に見舞われたわけではありません。ちょっと仕事が忙しめになったこと、家庭の事情で子どもと過ごす時間が増えたこと、季節の変わり目で風邪をひいた(うえに家族全員にうつしてしまった)ことなどが重なって、こうなっちゃいました。

しつこく書いているとおり、私は彩郎という分人をとても気に入っていますので、彩郎が不活性になってしまうのは、本意ではありません。でも、家族との分人も、仕事の分人も、もちろん大切で、ないがしろにはできません。なのでまあ、今はこういう時期なんだろうなと思っています。

それはそうとして、1,2か月間、彩郎をほとんど生きることができずにいることは、私にとって、小さくない出来事のように思います。せっかくなので、少し落ち着いたら、今の状況をふり返ってみたいとも考えています。この連載のテーマにとっても大事な話のような気がするので、次回のテーマにするのも悪くないかもしれません。

ともあれ、ブログやTwitterでは眠っているものの、彩郎はいたって元気です。また次回、お会いできたらうれしく思います。

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