あけましておめでとうございます。@lyustyleです。
新年初投稿です。
本当なら1月3日(火曜)が私の担当なのですが,今回のテーマが「お年玉」についてですので,無理を言いまして本日投稿させていただきました。
毎回今度はどんなレシピでいこうかな、と一週間くらいあれこれ悩むのですが、今回はもうこれしかないでしょう。すぐに決まりました。
さて,毎年,夫婦間で交わされる儀式。
「今年はいくらあげようか」
「親戚のあの子にいったいいくら上げたらいいのかな」。
昨年のお年玉手帳(?)を持ち出してきて,「◯◯ちゃんは,去年これだけあげてるけど,今年は入学したから・・・」なんて,会話が交わされているのではないでしょうか?
お年玉,いったいいくらぐらいあげたらいいんでしょうか?
身の丈に合ったお年玉を
私の話で恐縮です。
お年玉を初めてもらったときのことをよく覚えています。
幼稚園の年長さんの時でした。
1960年代半ば、10円玉が大きな価値を持っていた時代。私たちは、ほぼ,どの子もお小遣いを毎日10円もらっていました。
学校から帰ってくると10円握りしめて近所の駄菓子屋に行き、10円のもの買うのに一時間もあれこれ粘った、という経験が、私たちの年代の誰にもあるんじゃないかと思います。
赤塚不二夫さんの描いた「ひみつのアッコちゃん」という漫画があります。秘密のコンパクトを持って「テクマクマヤコン・・・○○になあれ」って唱えれば、誰にでも動物にでも変身できるあの漫画です。
その復刻版が出ていて懐かしく読んでいた中に、アッコちゃんの弟だと思いますが、男の子が駄菓子屋でおばさんにこう言われているシーンがありました。
「10円のもの買うのに30分も粘ってどうするんだね」
まさに私たちの感覚。
私たちもちょうどこの男の子と同じくらいの年でしたからよくわかります。
たった10円。戦前ではないから当時の10円は今の何万円に当たるだろうなどと言いっこなしですよ。今と同じ10円です。ただし、少し今よりも価値がありました。10円で、串に三つ刺したたこ焼きが駄菓子屋で買えたというくらいです。(たこ焼きってそんなもんでした)
大事な10円。
駄菓子屋ではそんな子供たちの身の丈に合ったものが売られていました。おかしおもちゃもみんな10円サイズにしてあります。だから悩むのです。この10円をどのように使うのが今日の正解なのか。
私たちは、10円の価値をよくわかっていました。
身の丈に合った10円
そんな大事な大事な10円を,私は初めてのお年玉でなんとう四つももらったのでした。
目のくらむような幸せが私を包んだことを覚えています。
あの何でもできる10円が四日分も私の手に握られている。その、世の中全部を征服したかのような全能感は、10円を毎日大切にしていたからこそ感じるものでした。
まだ,幼稚園でしたが、私には生活から学んだ経験がありましたので頭の中で素早く計算しました。
そしてお年玉の使用計画を立てたのでした。
「午前中に二十円使おう。」
もうそれだけで目の前がちらついてふらつきそうです。あの十円を二日分も使えるのです。10円あれば何でも帰るのに、20円もあったらいったいどんなことになるんだろう。
それだけではありません。
「午後もう二十円使おう。」
もう卒倒しそうです。この幸せを私はどうすればいいのでしょうか。
私は、午前と午後にわけて二十円ずつ使いました。何を買ったかなんて覚えていません。きっと小さなおもちゃかお菓子を買ったのでしょう。私が覚えているのは、この世にはこんな幸せがあるのだ、という強烈な記憶です。
ささやかな話です。
大人の目から見れば、貯金しておけばいいじゃないの、と思うかもしれません。
確かに今の私もそう思います。
そしていざというときに使えばいいのにと。
確かにそうですが、それは大人の目から見てのこと。
当時、父も母も私にそんなことはいいませんでした。
大喜びでお店に行ってなんだかわからないものを買ってくる私をにこにこと見てくれたのでした。
身の丈に合ったお金をもらい、それを思い切り使わせてくれたことに感謝しています。
私の幸せは、「こんなにもらってうれしい!」と実感できるくらいのお金をもらったことだと思います。
身の丈に合わない1000円
翌年,私は一年生になりました。
親戚の皆さんが100円ずつくれました。
昨年の40円から一気に100円です。
それはそれはうれしくて,700円にもなった頃、幸せ感でお腹いっぱいになって,もうこれ以上いいや、という気持ちになりました。
そこへ、一番年の大叔母さんがおいでにない,私に1000円くださいました。
一気に10倍です。
これまで7人からもらった全額を一気に凌駕してしまいました。
ところが、私はあっけにとられてしまいます。1000円というのが700円よりも大きい数字だということはわかりましたが、あまりに大きすぎてうれしいという実感がわかなかったのです。
母がやってきて,「大きすぎるね。半分とっておいてあげようね」といって500円とりわけて私にくれました。
ようやく喜びの気持ちがわいてきました。
1000円というお金は私の身の丈には合わないお金だったのです。
まとめ
新年早々、自分語りになってしまい申し訳ありません。
身の丈に合ったお年玉ということを書こうと思ったら、この二つはどうしても書きたかったのです。
レシピは?といわれると困ってしまいます。
はて・・・
お年玉を下さる人に「わが子の身の丈に合っただけのお金でいいです」なんていうわけにもいかず。
では、こんなのはどうでしょうか?
もらったお金を子どもの前で全部合わせて見せ、もらってうれしい金額、使えてうれしいだけの金額にまで切り分けてあげて、あとはとっておこうね、というのは?
お金を使うことができてうれしい、という感覚は大事にしてあげたいですし、身の丈よりも大きなお金はよりよいことに使うためにとっておく、という感覚も必要ですからね。
新年最初の投稿でした。いかがでしたでしょうか?この記事が,お年玉の額を決めあぐねている方のお役に立てれば幸いです。
さて、そろそろ子育てレシピの記事も20に近づこうとしています。
今後、どうしていこうかな、と思っているところです。
子育てレシピを続けるか、別のことを開拓するか。
今、私のサイト「知的生活ネットワーク」ではまっているミニサイト作りのことなど面白いかもしれません。
手始めに子育てレシピの全話をリライトしてミニサイトに、という実例を元にお話しするのも楽しいかも。
どうしようか、とあれこれ考えているときが一番楽しいですよね。
それではまた、二週間後にお会いしましょう。
今年が皆様にとってよい年となりますように。
挿絵動画です
今回の挿絵のメイキングを動画にしました。
小学校の教師を33年間勤めています。
渡部昇一氏の「知的生活の方法」を読んで以来,忙しい中にも知的生活を求め続ける人生を送りたいと思ってこれまでやってきました。
2008年よりブログ「知的生活ネットワーク」をやっています。
BLOG:知的生活ネットワーク
Twitter:@Lyustyle