お久しぶりです。TaskArtsのイド♂(@idomars)でございます。
高校時代に友人から “Welcome to Underground” されてから、15年ぐらい付き添ったネットサーフィンを2019年元旦にやめました。
「まだ元旦から10日ぐらいしか経ってねぇじゃねぇか!」と威勢の良いジャパニーズツッコミが聞こえてきますが、まぁちょっと話を聞いてって下さい。
「ネットサーフィンやめたぐらいで大げさな」と思う人もいるでしょう。
そうです。仰る通り、タスク管理のスペシャリストぶっておきながら、仕組みではネットサーフィンをやめることがでないポンコツだったんです、わたしは。お恥ずかしい限りです。
それでは懺悔に代えて、事の顛末を語らせて頂きます。
ネットサーフィンをやめたら色々捗る件
本題に入る前に、ネットサーフィンをやめた結果、わたしに訪れた恩恵を説明しておきます。
時間が増えた
まずは当然のことながら、時間が増えました。今までネットサーフィンをしてた時間を他のことに使えるようになりました。
特に休日の場合、これが顕著。
今まで、
「m9(^Д^)ワロスwwwwwwwwww」とか言ってまとめサイト見てたらいつの間にか数時間が経っている。
↓
「あぁもうオレ終わってるわ。もう今から何もする気にならん。」
or
「今からやっても終わらないから、もうやる気が出ない。ネットサーフィンしてなかったら終わってたかも知れないのになぁ。終わってんなぁ、オレ。」
↓
「もう自分の殻にこもりたいから、ネットサーフィンやり続けよ」
↓
一日終了
という負のスパイラルに陥っていたのが、なくなりました。
あ、休日ってこんなに時間あったんだ。って思います。
自己統制力が上がった
別の言い方をすると、自分の今の状態をメタ的に認識しやすくなりました。
自分をより客観視できるようになったと言うか。
ネットサーフィンに限らず、ゲーム、マンガ、SNSもそうですが、それをやってる時って、当たり前ですが意識は自分ではなく、やっている対象に向かうわけです。
逆にこれらをやらなければ、意識を向ける対象が自分しかなくなるわけです。
意識が自分に向く時間が増えたから、自分をコントロールしやすくなったのかなと思います。
意識を娯楽に向け、欲望のままに過ごしていると、たがが外れて、自制が利きにくくなると思うのです。そのたがが元に戻った感じです。
疲れにくくなった
いくらブルーライトをカットしてるからと言っても、ネットサーフィンをしてると疲れます。恐らく、書いてあることの理解、焦点や視点の移動、次に踏みたいリンクの選定&タップ等で頭も目も消耗するのでしょう。
何かを選択すると認知資源は減ると、誰かが言ってましたが、ネットサーフィンなんて「この記事を読む、読まない」の選択の連続ですしね。
仕事の休憩時にネットサーフィンをしてた以前と今では、夕方の疲労感が段違いです。 休日にネットサーフィンをしてダラダラしてた時は、16時ぐらいにはもう疲れていて、何もする気が起きませんでしたが、今は夜まで元気です。
仕組みでネットサーフィンをやめようと頑張った
下記のわたしの記事からわかるように、今までずーっと、仕組みでネットサーフィンをやめようと頑張ってきました。
▼注:やめられていません
でもうまく行かなかった。
そして最終的に、もう仕組みを作ることに疲れてしまったのです。
ある一定期間までは、「PDCA回して、日々改善してるオレすげー!」ってなるんですよ?
でもそれが何年も続き、いつまで経っても成功しないと、「仕組み作りのために永遠に消耗し続ける」感覚になるんです。
永遠に完成しない仕組みを作る身にもなって下さいよ。
賽の河原の石積みか?ってんだ。
単純にPDCAを回すのが下手なのかも知れませんが、とにかくもう疲れたのです。。
にんげんじゃないもの イド♂
ここで話は飛びますが、「にんげんだもの みつを」ってご存じですか?
いい言葉ですよね。実家のトイレにこの言葉が貼ってあったのを覚えています。
仕組みでネットサーフィンをやめようとしていた時は、いつもこの言葉を胸にしていました。
「にんげんだもの。失敗しても仕方ない。」
「にんげんだもの。昨日は1時間ネットサーフィンしちゃったから、今日はその半分ぐらいを目指そう。」
でもタスク管理の河原で、ネットサーフィンをやめるために積み上げた仕組みが崩れるのを幾千回と目にし、消耗しきった時に思 ったのです。
「これなんちゃうか?」と。
「『にんげんだもの』とまるで失敗することを当然のように思ってるから、いつまで経ってもやめられないんじゃないか?」と。
それで元旦の朝、目が覚めた時、こんな詩を詠んだのです。
「にんげんじゃないもの イド♂」
わたしはにんげんじゃないから、ネットサーフィンはしない。
こう思った時から、ネットサーフィンする気が起きません。
以前ならネットサーフィンをしていたタイミングや感情に出会っても、「昔ならここでネットサーフィンしてたな」と、他人事のように思うぐらいです。
このようにネットサーフィンをしたいという気持ちが消えたので、したい気持ちを抑えるために意思力を使うこともありません。
ネットサーフィンしない状態がわたしにとって正常だからです。
しないことが当たり前のことを、当たり前にしてないだけです。
こうしてわたしは、数年やめられなかったネットサーフィンを刹那でやめることに成功したのでした。おわり。
まとめ
以上、わたしがネットサーフィンをやめた方法を共有させて頂きました。
前回の記事で、わたしのタスク実行管理の完成度は70%と書きましたが、ネットサーフィンをやめただけで80%、やめた結果できた時間を効率よく使うルーチンが完成すれば85%ぐらいまで上がる予感がします。
▼前回の記事
疲れている時や酔っている時の自己統制力が、昔の比になりません。頭が回らないから、体調が優れないから、という理由でルーチンタスクを放棄することがなくなりました。ネットサーフィンという行為がどれだけわたしから自己統制力を奪っていたのか。。
ネットサーフィン断捨離の効果はすごい!
今回はいつも理論ばかり話しているので、実例を先に紹介しました。次回はなぜこんなことが可能なのか?を理論に落とし込んで説明します。
それではよいタスク管理を!
注:勘違いする人もいるかも知れないので、念のため断っておきますが、この記事はタスク管理の記事ですよ?!根性使ってないから根性論でもないし、神秘の力を使ってもないのでスピリチュアルでもないです。ただ「ネットサーフィン」というタスクの発生を、タスク発生管理を使って止めた話ですから。
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イド♂です。スイス・ドイツを経てイタリアで妻と子どもと生活しています。社会人になってからほぼ1年に一回、転勤や部署異動をしている経験から、多視点からのタスク管理論が持ち味です。ひばち(@Evaccaneer )さんと二人で、タスク管理イベント「TaskFreaks!!」を主宰しています。
テーマ別で下記2つのブログを運営していますが、現在のメインは「TaskArts」。Twitterですべてのブログの更新情報を流しています。
座右の銘 : 「生きるとはタスク管理することである」