新入社員の頃、上司によく言われた言葉があります。それは「自分の頭でちゃんと考えろ!」というものでした。
社会人になって間もない頃は、言われたことをやっているだけで精一杯。でも、ただただ機械のように手を動かしているだけでは仕事は上達しません。それはただ “慣れ” てくるだけ。
だからこそ、あの私の恩師はいつも「自分の頭で考えろ!」と私に言ってくれたのだと思います。
考える事の重要性は社会人になって初めて実感できた
当時はこの言葉を言われる度に思いました。「やれって言われたから、言われた通りにやっただけだろ。文句を言われる筋合いなんてないネ!」と。
言われたことを実直にこなすだけなら、考える暇なんていらない。右から左に流すだけの作業で、何を考えればいいんだ。そう思っていた時期もありました。
でも、「人は、考える葦である」とパスカルが言うように、人は “考える” という行為から価値を生み出せます。現に人は、自由な発想や論理的な思考から、多くのものを生み出してきました。
考える力を養う。歳を重ねれば重ねる毎に、この事の重要性を実感しています。
“考える” って、実際なんなのさ?
では具体的に、”考える” とは何をすればいいでしょうか。
デスクの前に座って、腕を組み、目を閉じて、頭の中で思いを巡らせる。”考える” という言葉から最も容易にイメージできる図でしょう。
しかしこれは、サボっている事と大差ありません。考えているようで、ただただ悩んでいるだけ。その思考はどこに向かっているわけでもなく、雲のように時間に身を任されているに過ぎません。
私は、“紙に書く” という行為そのものが、”考えること” だと考えています。
紙にペンを走らせ、自分の頭の中を可視化する。思いついた言葉やイメージを形にすることで、初めて自分自身と対話することができます。
セルフコミュニケーション。自分自身との会話の中でアイデアは広がり、論理が組み上がり、結論が導かれる。
これが、”考える” という行為を表現できる具体的な行動であり、そして、”結論を導き出す” というのが、”考える” という行為の成果物です。
結論を出すことが “考えた” と言える
自分なりの結論を出す。これが出来て初めて “考えた” と言えます。
これは、”決断” とは違います。
今でも経験がありますが、考えても考えても決断できない時はある。その時は、決断に至るまでに、まだ何か足りない要素があるのでしょう。特に若いうちはそういう機会が多いのです。経験が浅く知識も乏しいうちは、尚更に決断は難しい。
でも、”考える” という行為に “決断” は不要。必要なのは “結論” であり、次に自分が起こすアクションが導き出せれば、それでOKなんです。
それが例え「決断が出来ないから、誰かに相談しよう!」という結論でも良い。考えた結果、誰かに助言を求めるか、あるいは相談しようと結論づけたのであれば、それは立派に “考えた” ことになります。
上司が求めていたのは、私なりの結論
「自分の頭で考えろ」と私に言い放った上司。考えた結果、再度私は上司に相談しました。
しかし以前とは違って、自分の考えた中身を話したんです。紙に書きだした “考えた内容” を上司に伝え、その結果「自分はこうするのが良いと思うのだが、他に可能性がないか助言を頂きたい」とお願いしたんです。
すると上司は、私のためにミーティングの時間を作ってくれ、そこから2人での議論に発展したんです。
あとがき
「考えろ!」って言葉は簡単に使われがちですが、実行するのは意外と難しいものだなぁと、今でも思います。
「考えているつもり」になってしまって、30分経っても何も変わらないなんてこと、結構ざらにあります。
紙に書くっていうのは、一つの安心感というか、掛けた時間の証明みたいなものでもあるんです。私は、確かに自分は考えたという実績を、何らかの形で表現したかったのだと思います。
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