こんにちは。奇数週火曜日担当の彩郎です。
前回は、1回分まるまる費やして、自己紹介を書きました。
普通の個人が、ブログのある毎日を送り続ける、ということ(連載を始めるにあたって)
ところで、この連載は、
- 私個人の主観的な体験談を書き、
- 私個人の主観的な体験談を題材にして、少し一般的な観点から考えてみる
をくり返すという枠組みを持っています。このくり返しを通して、私個人の主観的な体験談を題材に、「普通の個人が、ブログのある毎日を送り続ける」というテーマを考えてみることが、私がこの連載で取り組みたいことです。
前回は、私個人の主観的な体験談でした。[2016年4月現在の自己紹介]と[2012年2月~3月当時の自己紹介]という2時点の自己紹介です。この2時点は、この連載との関係では、いわば、私個人の主観的なスタート地点とゴール地点にあたります。
そこで今回は、この主観的な自己紹介を少し一般化することで、この連載のスタート地点とゴール地点を考えてみます。スタート地点とゴール地点を確認することは、この連載が取り組む課題を明らかにすることにつながるはずです。
【スタート地点とゴール地点、そしてその間】
(スタート地点)
2012年2月〜3月当時、私が置かれていた状況は、こんなところです。
- 毎日の生活に、これといった具体的な問題は見当たらない
- 家庭も、平和
- 仕事も、平和
- 持続可能な毎日
- だけど、足りない。何かが。
- 閉塞感
- どこにもたどりつかない毎日
- 終わりなき日常
- 不完全燃焼感
- 自分の全力を出し切っていない感覚
- 自分の中に発揮できていない部分が残っている感覚
- 閉塞感
それは、平和な毎日でした。解決しなければいけない問題があったわけではありません。
また、持続可能な毎日でした。それまでも持続可能でしたし、それからもきっと持続可能だろうと思えました。
でも、閉塞感がありました。このままではどこにもたどりつかず、終わりなき日常がずっと続くような気がしました。
不完全燃焼感もありました。自分の全力を出し切っていない感覚や、自分の中に発揮されていない部分が残っている感覚がありました。
平和な毎日なので、これを解決すれば改善する、という具体的な問題が見えません。もちろん、これは悪いことではないのですが、他方で、だからこそ、閉塞感や不完全燃焼感にも終わりが見えませんでした。
こんな、閉塞感のある、持続可能で平和な毎日が、2012年2月〜3月に私が置かれていた状況です。
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こんな状況を、少し一般化してみると、次の2つの要素を抽出できそうです。
- 具体的で明確な問題があるわけではない
- 抽象的で曖昧な閉塞感や不完全燃焼感がある
ひとつめが、何かの問題を解決しなければいけないわけではないこと。少なくとも、具体的で明確な問題をすぐに解決しなければ致命的なことになる、というわけではありません。
病院で治療すべき体の不調があるわけではなく、誰かに相談すべき子どもの成長に関する問題があるわけでもなく、転職を検討すべきほどの長時間労働や理不尽な上司に悩まされているわけでもなく、家計がこのままではいずれ破綻しかねない収支バランスに陥っているわけでもない。もし、このような問題があるなら、何はさておき、これらの問題を解決するため、誰かに相談をしたりしかるべきところに行くなど、具体的な対策をとるほうが合理的なのですが、幸いにして、そのような問題は抱えていない、という状態です。
ふたつめが、閉塞感や不完全燃焼感があること。抽象的で曖昧な閉塞感や不完全燃焼感です。「毎日が充実!」「私は自分の人生を生き切っている」と確信して生きているわけではなく、なんとなくぼんやりと、「このままでいいのかなあ」「何かが足りない気がする」と感じている。
(ゴール地点)
これに対して、2016年4月の私の状況は、こんな感じです。
- 家庭と仕事に、劇的な変化はない
- 家庭については、たとえば子どもの成長といった変化はあるけれど、劇的な変化ではない
- 仕事については、独立や転職をしたわけではなく、仕事内容が変わったわけでもない
- 基本的には、持続可能で平和な毎日が連続している
- 「単純作業に心を込めて」と「彩郎」
- WorkFlowyに没頭している
- WorkFlowyへの没頭を具体的な形にした
- 『クラウド時代の思考ツールWorkFlowy入門』
- HandyFlowy・MemoFlowy
- WorkFlowyへの没頭を共有するコミュニティ
- 段差ラ部、アイデア広場、HandyFlowy&MemoFlowy開発チームなど
- 閉塞感・不完全燃焼感は消えて、納得感がある
家庭と仕事には、それほど大きな変化はありません。
家庭については、子どもが成長したり、親族にいろんな変化があったり、といった変化はありますが、4年という月日からすれば、あたりまえの変化だと思います。少なくとも劇的ではない。
仕事については、家庭以上に、変化がありません。同じ雇い主、同じ職場で、同じような仕事を続けています。独立するでもなく、転職するでもなく、新しい役職を得るでもなくで、そのためか、収入も権限も平穏に連続したままです。
他方で、4年前と比較したときの大きな変化は、「単純作業に心を込めて」と「彩郎」です。「単純作業に心を込めて」というブログを始め、「彩郎」という人格をTwitterに生み出したことによって、たくさんの変化が生まれました。
とりわけ、WorkFlowyと出会い、WorkFlowyに没頭したことは決定的でした。『クラウド時代の思考ツールWorkFlowy入門』という本を書き、HandyFlowy・MemoFlowyという2つのアプリの誕生に関わることができました。
4年前に感じていた閉塞感や不完全燃焼感は、抱いていません。今の私は、持続可能で平和な家庭と仕事に加えて、WorkFlowyという「自分の仕事」を与えられ、納得感の中で毎日を送っています。とてもありがたいことに。
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こんな状況を暫定的なゴール地点として一般化してみると、ここには、次の2つの要素があるように思います。
- 毎日の生活の基本部分は、連続していて断絶がない
- 毎日の生活の基本部分とは、公と私
- 仕事とプライベート
- 毎日の生活部分が、連続している
- 時間の流れに応じた変化はあるけれど、連続した変化であって、断絶はない
- たとえば仕事なら、独立や転職などはない
- 外からは、平穏な日常が続いているように見える
- 毎日の生活の基本部分とは、公と私
- 「好き」への没頭からくる納得感
- 「好き」への没頭
- 没頭できる「好き」の対象と出会っている
- 「好き」に没頭するための場にアクセスできる
- 「好き」への没頭に、具体的な形を与えている
- 「好き」を共有できるコミュニティに属している
- 納得感
- 「好き」への没頭を「自分の仕事」だと捉えている
- 「好き」への没頭から、元を取ろうとしていない
- 「いつか元を取らせろ」と思いながら「好き」に没頭しているわけではない
- 「好き」への没頭それ自体に、価値を感じている
- 「好き」への没頭
第一に、毎日の生活の基本部分に変化がないところ。
毎日の生活の基本部分とは、全然厳密ではないのですが、家庭や仕事など、人の役割における主なものをイメージしています。こんな基本部分において、連続している。断絶していない。
たとえば仕事なら、独立するでもなく、転職するでもなく、大幅な昇進をするでもなく、同じ職場で同じような仕事をしている、ということです。もちろん、時間の経過による変化はあるでしょうし、仕事に取り組む自分自身の姿勢などの変化はあると思うのですが、客観的なところを外から大きく見れば、基本的には変わりない。
収入も同じようなもので、生活水準や行動範囲も概ね同じようなもの。生活の基本部分において、同じ世界を生き続けている、ということをイメージしています。
これが、ひとつめの要素です。
第二に、「好き」に没頭していること、そして、「好き」への没頭に納得していること。
まず、「好き」への没頭を支える条件を抽出してみると、「対象」「場」「具体的な形」「コミュニティ」という4つではないかと思います。
ひとつめは、「好き」を確信し、没頭できる対象。こんな対象と出会えること、こんな対象に自分を見つけてもらうことが、「好き」への没頭の出発点です。
ふたつめは、「好き」への没頭を可能にする「場」へのアクセス。自分でそんな「場」を持っているのでもよいですし、自分以外の人が作っている場を利用できるのでもよいと思います。
みっつめは、「好き」への没頭に、何らかの具体的な形を与えていること。形を与えると、そこから広がりが生まれるため、これも大切です。
最後のよっつめは、「好き」への没頭を共有できるコミュニティ。「好き」を共有できるだけでもうれしいことですし、「好き」への没頭を客観的な価値につなげるためにも、コミュニティは確かな役割を果たします。
次に、こんな条件に支えられ、「好き」へ没頭できていることを、自分自身で納得しています。「好き」への没頭を「自分の仕事」だと捉え、「好き」に自分の時間やエネルギーやお金などを注ぎ込むことにためらいを感じない。そこには「いつか元を取ってやろう」という計算はなく、「好き」へ没頭できることだけで、十分、報われている、と感じているのが、ゴール地点から抽出できるふたつめの要素です。
(スタート地点からゴール地点までの間)
スタート地点とゴール地点の間には、当然、前者から後者までのプロセスが存在します。この部分も一般化してみると、ポイントとなる要素は、ここでも2つです。
- ゴールを目指して計画的に進んで到達した、というわけではない
- 最初に描いたゴールに到達したわけではない
- 最初にゴールを描いたわけではない
- ゴールに到達するための計画を立てたわけではない
- 計画的に進んできたわけではない
- 目の前の「好き」に没頭し続けたら、結果として機会を与えられ、いつのまにか予想もしていなかった場所にたどり着いていた
- 最初に描いたゴールに到達したわけではない
- 短くない時間が経過しているけれど、その期間が暗黒時代だというわけではない
- スタート地点からゴール地点までに、私の場合で4年間という時間が流れている。けっして短くない。
- スタート地点からゴール地点までの時間は、「我慢のとき」や「準備期間」や「下積み時代」ではない。
- ゴール地点に到達するために我慢していたわけではない。
- いつか来るべき本番に備えて準備していたわけではない。
- スタート地点からゴール地点までのすべてが、それ自体に価値のある大切な時間。
第一に、ゴールを目指して計画的に進んだことで到達したわけではないこと。
最初にゴールを描いたわけではありません。ゴールに到達するための計画を立てたわけでも、計画的に少しずつ進んできたわけでもありません。
目の前にある「好き」に対して具体的に没頭していたら、いくつもの機会を与えられ、与えられた機会に取り組んでいたら、結果として、いつのまにか、予想もしていなかった場所にたどり着く。ゴール地点に到達するまでの進み方は、こんな感じです。
第二に、短くない時間が経過しています。私の場合は4年間です。ですが、この長い期間は、必ずしも暗黒時代ではありません。
私の場合、スタート地点からゴール地点までには、4年間という時間が流れています。この4年間という長さになんらかの必然性があるわけではないと思うのですが、私の体験談を材料にして考察する以上、同じくらいの時間がかかっても不思議はありません。別の言葉でいえば、この連載の課題に対する取り組み方は、かなり気長でのんびりとした、即効性のないものです。
他方で、この短くない時間は、決して暗黒時代ではありません。いつか明るい時代が来ることを祈り、そのために何かを我慢し、何かを仕込んでいるわけではなく、その時間自体を価値あるものとして大切にしています。スタート地点からゴール地点までの間の価値は、ゴール地点に近づくことから生まれているのではなく、それ自体にあるわけです。
【この連載が取り組む課題】
スタート地点、ゴール地点、その間。それぞれから、要素を抽出してみました。ポイントだけ再掲します。
- スタート地点
- 具体的で明確な問題があるわけではない
- 抽象的で曖昧な閉塞感や不完全燃焼感がある
- ゴール地点
- 毎日の生活の基本部分は、連続していて断絶がない
- 「好き」への没頭からくる納得感
- スタート地点からゴール地点までの間
- ゴールを目指して計画的に進んで到達した、というわけではない
- 短くない時間が経過しているけれど、その期間が暗黒時代だというわけではない
ここからは、スタート地点からゴール地点までの、こんな歩みが浮かび上がってきます。
- 毎日の生活に、具体的で明確な問題があるわけではない。家庭も仕事も基本的に順調。今の毎日を大切に思っていて、今の生活の基本部分を、これからも持続可能なものとしておきたい。家族との生活リズムも大切にしたいし、独立や転職も考えていない。
- でも、抽象的で曖昧な閉塞感や不完全燃焼感を感じている。何かが足りない気がするし、自分の中に、発揮されていない大切な部分がある気もする。できることなら、こんな閉塞感や不完全燃焼感を解消したい。「これが〈自分の仕事〉だ」と納得しながら、「好き」と確信できる対象に没頭して、生きていきたい。
- そのための具体的な道筋が見えているわけではない。目標もないし、計画もない。でも、何か具体的なことをしたいと思う。持続可能な毎日を生き続ける、という大前提を維持できるなら、だけど。
- 急いではいない。年単位の時間が経過してもかまわないし、最短距離じゃなくていい。無駄な寄り道も歓迎。でも、ゴール地点に向かう道のりを、将来のための暗黒時代にはしたくない。そこまでの時間も、大切な毎日だから。
この連載で描いていきたいのは、こんな個人の歩みです。
こんな個人の歩みを、「普通の個人が、ブログのある毎日を送り続ける」ということを軸にして、ひとつのモデルケースとして描いていこうと思います。
—編集後記—
今回の記事の原稿をだいたい書き上げた約1週間前、私は、ある一冊の本を読みました。『これからのエリック・ホッファーのために』という本です。
この本のテーマは、「在野研究者」という生き方です。「在野研究者」とは、大学に所属せず、大学から経済的に自立した状態で、論文的形式性を備えた文章を発表することで研究を進めている方々のことですが、この本は、16人の「在野研究者」の生涯と業績をコンパクトに紹介することで、「在野研究者」として生きていくことを考えるための材料を提供することを目指しています。
最初に本書を知ったとき、私は、「自分とは関係のない本だ」と思いました。でも、読み終えてみると、「今の私が読むべき本だった」と感じました。それは、普通の個人が「好きに没頭する」という生き方を送り続けていくためのヒントを、たくさん受け取ることができたからです。
普通のワーキングパパが『これからのエリック・ホッファーのために』を読むということの意味(「好きに没頭する」ための3つのヒント)
普通の個人が「好きに没頭する」という生き方を送り続けていくということは、今の私にとって、大切なテーマです。そして、このテーマは、とりわけ、このアシタノレシピの連載との深い関係を持っています。
そのため、『これからのエリック・ホッファーのために』を受けて、今回の記事の原稿を、大幅に組み立て直し、書き直しました。
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この記事では、「スタート地点」と「ゴール地点」を整理しています。とはいえ、ここでの「ゴール地点」とは、2016年4月段階の私の状況を一般化したものに過ぎません。そして、私の毎日がこれからも持続していくだろうことからすれば、2016年4月段階の私の状況も、完成して固定したものではありえないのですから、これを一般化した「ゴール地点」も、暫定的なものです。だから、連載開始当初から、この連載を続けていくうちに、いずれ「ゴール地点」が少しずつ変化していくんだろうな、と思っていました。
他方で、2016年4月現在の自分のあり方に、私はそれなりの手応えを感じていました。そのため、いずれ変化するにせよ、しばらくはこのままではないか、とも考えていました。(だからこそ、アシタノレシピの連載において、2016年4月段階を一応のゴールとして設定したわけです。)
ところが、『これからのエリック・ホッファーのために』から、「在野研究者」というあり方と16人の魅力的で力強いロールモデルを受け取ることによって、私は、自分のあり方に小さくない変更を加えてもいいかもしれない、と感じ始めています。だから、まだ2016年4月が終わってもいないのですが、この連載が前提としているゴールは、少しずつずれていくかもしれません。
「在野研究者」というあり方からどんな変更を受け取ることができるかは、まだそれほど明確にできたわけではありませんので、この記事で何かを示すことは控えますが、なんにせよ、「ゴール地点」が変化していくこと自体も素直に受け入れながら、この連載を進めていきたいと思います。
共働き家庭のワーキングパパ。子育てと読書とブログに没頭しつつ、持続可能な毎日を送り続けることを大切にしています。
2012年3月、ブログ「単純作業に心を込めて」を始めました。WorkFlowyを中心に、毎日に彩りを加える方法を試行錯誤してる経過を報告しています。
2016年1月、『クラウド時代の思考ツールWorkFlowy入門』という本を書きました。WorkFlowyと個人の知的生産がテーマです。
BLOG:単純作業に心を込めて
Twitter:@irodraw