平和な閉塞感につながる構造的な問題(普通の個人が、ブログのある毎日を送り続ける、ということ)

こんにちは。「単純作業に心を込めて」彩郎です。連載「普通の個人が、ブログのある毎日を送り続ける、ということ」の第4回をお届けします。

前回は、2012年3月当時の私が、抱いていた平和な閉塞感を解消すべき課題として捉えるように至った経緯と、平和な閉塞感を解消するためブログを始めた、ということを書きました。今回は、この体験談に関連して、次の3点を考えてみます。

  • 閉塞感につながる構造的な問題
  • 閉塞感を、解消すべき課題と捉えるか否か
  • 閉塞感を解消する方向性

【閉塞感につながる構造的な問題】

私の場合、平和な閉塞感を生んでいたのは、

  • 試行錯誤そのものが減っていたこと
  • 自分の中にある大切な部分が発揮されることなく残されていたこと

という2つでした。

ところで、この2つは、私だけに特有のことではなく、今の日本社会の中で生きている、だいたい30代半ばくらいの方々の中の一定割合の方々にも、そこそこ当てはまるのではないかという気がします。というのも、この2つにつながりやすい構造の中を生きている方々が、それなりにいらっしゃるように思うためです。

(もちろん、すべての人に当てはまるとまで言いたいわけではなく、こんな構造の中で生きる人が普通の多数派だと言っているわけでもありません。)

たとえば仕事の場面を考えてみます。

30代半ばというと、仮に新卒でどこかに就職して、そのまま同じところで働いているとすると、その場所で10年程度の年数を経験した、というくらいの年齢です。経験10年といえば、ちょっとしたもので、業種にもよりますが、少なくとも新人ではありません。

短くない経験を積む中で、いろいろな知識・技能やノウハウを獲得しているでしょうし、見通しもつくようになったり、こうすればある程度の確率でうまくいく仕事の進め方みたいなものを掴んだりしているかもしれません。新人のころは、何をやるのも試行錯誤でしたし、自分の中にある使えるものをは総動員せざるを得なかったのに対して、試行錯誤する必要性も、自分の中にあるすべてを総動員する必要性も、低下しています。

と同時に、責任も出てきます。それなりの成果や役割を期待され、それなりの成果を上げ、期待に応える必要も出てきます。すべてにおいて失敗前提で試行錯誤するわけにはいきませんし、多くの仕事で、自分のどの部分が求められているかがなんとなく分かりますので、的確にそれに答えていくことも大切です。

試行錯誤しなくても何とかなるし、自分のすべてを総動員しなくても何とかなる。反面で、確実な成果が求められることが多くなるため、試行錯誤がしづらくなる。また、自分の中にある特定の部分を求められることが多くなるため、自分の中の一部分が発揮されないまま残されることになる。30代半ばくらいには、こんな構造があるような気がします。

【閉塞感を、解消すべき課題と捉えるか否か】

私が、平和な閉塞感を解消すべき課題と捉えた理由は、平和な閉塞感の底に、

  • 試行錯誤そのものが減っていたこと
  • 自分の中にある大切な部分が発揮されることなく残されていたこと

という2つを感じたためです。

ここには、試行錯誤というものに価値を置き、また、自分の全体を発揮したいと考えていた、私の個人的な価値観があります。

ですが、試行錯誤そのものが減っている状態や、自分の中にある大切な部分が発揮されることなく残されている状態は、どんな価値観を持つにせよ、解消すべき課題なのかもしれません。

試行錯誤が必要なのは、新しい要素を毎日の生活の中に取り入れる必要があるからです。

試行錯誤が減るとは、新しいことを試すことが減ることです。必然的に、自分の生活の中に、新しい要素が入ってくること自体が減ってしまいます。人の生活とは、無数の要素を束ねた流れのようなものです。新しい要素が入ってこなくなると、淀んでしまい、停滞します。

変わらない毎日を大切にしたいんだから、新しい要素なんて必要ない、という考えもあるかもしれません。でも、常に新しい要素を取り込んでこそ、変わらない毎日が維持されます。変わらないためには、変わり続けることが必要です。

毎日の生活の流れを淀ませないために、試行錯誤は、大切な役割を果たしています。

自分の中の全体を発揮することが大切なのは、全体で自分だからです。

一部分だけを発揮して毎日を送っていると、残りの一部分は、発揮されないままになります。

うまく機能する一部分だけを集中的に発揮したほうが合理的で、すべての部分を発揮しようとするのは不合理で非生産的な気もします。

でも、いろんな部分を束ねた集合体が自分です。自分の中の一部分を発揮しないということは、自分の一部分が死んでしまうようなものです。うまく機能する部分だけを合理的に取捨選択して発揮すると、発揮されない部分が残り、その部分が死んでしまいます。とりわけ、自分としてはとても大切に思っている自分の一部分を発揮できないと、自分で気に入っている自分を活かすことができず、自分を貧しく感じてしまうかもしれません。

このように、試行錯誤によって新しい要素を生活の中に取り入れることと、自分の中の全体を発揮していくことは、毎日を生きていく上で満たすべき条件のひとつのような気がします。

【閉塞感を解消する方向性】

閉塞感を解消するため、私が採用した解決策は、ブログでした。

私がブログに求めていた役割は、次の2つです。

  • 基本となる日常からは隔離された実験場として
  • 自分が発揮したい部分を少しずつ発揮するための機会として

この2つは、閉塞感を解消するための基本的な方向性を示しているように思います。

(基本となる日常からは隔離された実験場のような場所)

閉塞感を解消するため、試行錯誤を増やすには、どうしたらよいでしょうか。

試行錯誤が減ってしまったことには、構造的な問題があるのですから、これを解消するのが早道です。

構造的な問題とは、ひとことでいえば、気楽に失敗できなくなっている、ということです。であれば、気楽に失敗しやすい状況を作ってやることが、解決策になります。試行錯誤を促す条件を整えるわけです。

実験場を用意することが、ひとつの解決策になります。実験場での失敗は、実験場の外には波及しません。だから、思う存分失敗できます。

基本となる日常においては、求められる役割や責任を果たしつつ、無用な失敗は避け、着実に成果を上げる。他方で、実験場では、失敗前提で新しいことをどんどん試す。実験場の中での試行錯誤の多くは失敗するけれど、中にはうまくいくこともある。うまくいったことの中から、気が向いたものを、基本となる日常に取り込む。

こんな仕組みが、試行錯誤を増やし、毎日の生活に新しい要素を加え、流れを生み出します。

(自分が発揮したい部分を少しずつ発揮するための機会)

閉塞感を解消するためのもうひとつのポイントは、自分の中にある大切な一部分を全部発揮することです。このためには、何ができるでしょうか。

自分の中の一部分が発揮されることなく残ってしまうことにも、構造的な問題があるのでした。要するに、社会的な責任や役割が増えるにつれて、他者から求められる部分に偏りが出てくるために、求めに応じて発揮する一部分にも偏りが出てくる、ということです。

でも、他者から求められる部分に偏りが生じるのは、ある意味当然です。また、たとえ一部分だけだとしても、自分の中の一部分を求められることはありがたいことです。だから、他者から求められるものに応える場面では、他者から求められるものにきちんと応えることを、基本としたいと思います。

そのかわりに、別の視点を加えます。他者から求められるか否かに関係なく、自分が発揮したい部分を発揮するための機会を大切にする、ということです。

他者から求められるか否かに関係なく、自分からそんな機会を作るのですから、当然、見返りは求めません。自分を発揮させていただく、という姿勢です。

でも、こんな姿勢で発揮した自分の一部分が、ひょんなことから、価値に結びつくこともあるかもしれません。

基本となる日常から隔離された実験場のような場所。

自分が発揮したい部分を少しずつ発揮するための機会。

毎日の生活に、こんなものを用意すると、閉塞感の原因が少しずつ解体され、閉塞感は少しずつ解消に向かいます。

いろんな形がありうると思うのですが、ブログもそのうちのひとつです。

—-編集後記—-

この記事を書きながら改めて考えたことは、毎日の生活の中に新しい要素を取り入れることの意義でした。

これまで私は、「私は、今の生活に十分満足している。収入を倍増させたいとも、出世したいとも、新しい世界を見たいとも、考えていない。今と同じような毎日が、平和に続いていけばいい。」というように考えていました。そして、「毎日の生活に新しい要素を取り入れることは、それほど大切ではない。」と感じていました。

でも、毎日の生活は、無数の要素で構成される流れです。家族と過ごしたり、食事をしたり、仕事をしたり、本を読んだり、歯を磨いたり、そんな無数の要素が束になって流れて、毎日があります。変わらない毎日を大切にするとは、この流れを大切にすることです。そして、毎日の生活という流れを変わらないものとして大切にするには、新しい要素をどんどん取り入れていくことが必要なんだということに、今回の記事を書くことで、気づくことができました。

今回は、ずいぶんと抽象的な話になってしまいました。

次回は、もう少し具体的に、私がブログ「単純作業に心を込めて」を始めてからしばらくのことを書きます。

ブログというメディアの特徴を実感したことや、どのようなルールにもとづいてブログというゲームに取り組んでいたかを、ふり返るつもりです。

また2週間後にお会いしましょう。

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