こんにちは。第2,第4週火曜担当 @Lyustyle です。
今日は,子どもがどのようにしたら本好きになるのかなという悩みについてです。これ,保護者懇談会などでもよく聞かれていました。
そこで私が話してきたことや学級通信に書いたことなどを中心にお話ししてみたいと思います。
ここでは,「本好きの子ども」を「自分から読書をする子ども」ととらえてお話します。
では,子どもに読書をさせたいという親の思いは,いったいどうすればかなえられるのでしょうか。
させることと,するようにすること
結論から言いますと,「子どもに読書をさせること」は簡単にできますが,「子どもが読書するようにすること」はこれは難しいことです。させることは簡単ですが,するようにすることは難しいことなのです。
読書をするということは主体としての子どもの側の課題です。子どもが「読みたい」と思わなければ,子どもは主体的に「読もう」とは思わないのです。だから大人が無理やり座らせて本を与えて毎日10ページ読めと言っても,子どもは読まされているだけです。親の手が離れたとたん,遊びに行ってしまいます。
「それでもいい,無理やりにでも読ませることが大事だ」と思われているなら,この話はここで終わりです。でもおそらく,読書する子に育てたいという場合,どの親も「自ら読書する子」という前提があるのではないでしょうか。
子どもが「読書するようにする」ために
では,読書することが子どもの課題だとしたら,親としては何もしてやることはできないのでしょうか。
できます。それは子どもが読書を「する」ように準備してやることです。
このような「準備」はいかがでしょうか。
子どもを「読書をするようにする」ための準備
親が楽しんで本を読んでいる姿を見せること。
親が本をよまないのに子どもを本好きにしたいといってもそれはなかなか難しい相談です。子どもの最良の環境である親が本を読むことを楽しむ姿が,子どもに本への興味を持たせる素地になります。
親が子どもに読み聞かせをしてやること。
小さいときやまだ字が読めない頃は,寝るときや「読んで」と言ってきたときに読みきかせをしてあげていたと思います。しかしこれを字を読めるようになっても続けていくこのは,本の世界を楽しむことができるようにするためにとてもよいことです。読み聞かせは何歳になってからでもうれしいのです。後で詳しく述べます。
親が子どもに読んだ本のお話をしてあげること
読み聞かせと似ていますが,これはそういう場をつくらなくても,夕食を食べながらでもできます。
子どもが読んだ本の話をおもしろがって聞かせてもらうこと。
傾聴に類することですね。子どもが関心を持っていることに興味を持つ。子育て上でも大事なことでです。子どもはおもしろかったお話の内容を聴いて共有してもらった満足感から,また次の本を持ってくるでしょう。
納得ずくで読むルールをつくること
ここでの趣旨とたがうようですが,やりようによってはよい効果を生んだ例があります。あとで述べます。
何歳になってもうれしい読み聞かせ
読み聞かせについて詳しく述べてみたいと思います。
読み聞かせは子どもが小さいころははりきってしてあげていたのではないでしょうか。
でも子どもが字を覚えて自分で読むことができるようになるあたりから読み聞かせなどしなくなります。忙しくて本を読んであげるような時間はありませんし,自分で読めるのにわざわざ読んでもらいたいと思うことなど考えられないし,そもそも大きくなった子どもに読み聞かせをするなど考えたこともない・・・。
ところが,この読み聞かせは,何歳になってもうれしいのです。学校では保護者でつくる読み聞かせの会などがあるところがありますが,6年生でも順番がまわってくるのを楽しみに待っていて,喜んで聞きます。(国語や算数をするよりまし,という気持ちもあるでしょうけど・・・)
我が家でも,小学3年生と中学2年生の息子,そして妻(!)の3人に,およそ2年近くの間読み聞かせをしていたことがあります。ハリーポッターの1巻から4巻目の途中まで読み聞かせをしました。
ハリー・ポッターの1巻が発売されると,当時3年生だった息子にプレゼントしましたのですが,本の分厚さから,息子はとてもそれを読む気になれなかったようです。そこで毎晩少しずつ読んでやりました。すると息子は食後のその時間を楽しみにするようになりました。ときどきは息子に読ませて私が聞かせてもらうこともありました。そして一月ほどかけてとうとうふたりであの分厚い本を読み切ってしまったのです。
話はそれで終わりません。中学2年になっていた息子が途中で聞き耳をたてるようになりました。そして途中から中に入ってきたのです。すると妻も興味を示しはじめ,いっそのこと1巻目の最初から4人で読み聞かせの会をしようということになりました。
夕食後,私の書斎にあるこたつのまわりにみんなが座り,私が読み聞かせてやるのです。ときおり,交代で読むこともありましたが,妻をはじめみんなが私が読んでくれることを望みました。
1巻目の最後の文を読み終えたときみんなから拍手がでました。満足だったのでしょうね。4巻の途中,何かのきっかけで読み聞かせの会は終わりました。上の息子は高校生になっていました。先に読もうと思えば読めるのに,「自分だけ先に読むのはもったいない」といって,読み聞かせの時間が来るのを待っていました。
特別な例だとは思いますが,読み聞かせは何歳になってもいいものだ,という例です。
本に興味を持つにはとても効果がありますしまた,親子の関係を深めるのにもいいですよ。
子どもの納得ずくで本を読むルールを作る
納得ずくで読む習慣を作ること。これもやりようによっては「本を読むようにする」,ということが可能です。
これは、元プリンセスプリンセスのボーカル、岸谷香さんの記事からです。
岸谷香 幼児期からDS「わが家のゲーム・ルール 日経Dual
その約束というのが,「DS、好きなだけやってもいいよ。でも、DSやったのと同じ時間だけ、本を読もうね」とういことでした。何時間DSをやってもいいけど,やった時間分,あとで 読書をしましょうというルールです。
もともと本が好きだった息子さんは,半分「ラッキー」という思いもあったのでしょう,この約束をよく守りました。時には12時間もゲームをすることがあったけれどもその分12時間本を読み,その結果、2000冊もの本を中学入学までに読み上げたそうです。
「中学生になっていきなり「本を読みなさい」と言ったところで、読む習慣がなければきっと読まないし、読めないだろうから、親のコンロトールがきくうちに本に触れさせて、本の楽しさを知ってほしいなとも思っていました。中学受験で息子のアピールポイントを考えていたとき、ふと、これまでに彼が読んだ本を数えてみたところ、2000冊はゆうに超えていました。大人の私より全然読んできたわけです。」
納得ずくのルールが効果的に働いた例でしょう。もともと本好きだったということもこのルールが効果的だった要因でもあります。そして本好きにするためには,上にあげたようなさまざまな環境の準備を幼少のころからしてあげることが大切なのは言うまでもありませんね。
読書しようとする子どもへの「邪魔」
さて,準備だけでなく、子どもが読書をするようになることを邪魔しないことも大事です。
次のようなことをお子さんにしていらっしゃるなら要注意。
子どもが選んだ本に難癖をつける
「図鑑ばかり読んでないで,もっとためになる本を・・・!!!」
「かいけつゾロリなんて,漫画みたいなもんじゃないか。字がたくさんある本を・・!!」
子どもが本を読もうとする横で,テレビを見たり,夫婦が口論したりする
論外。
本を読んでいる子へのノイズ
「宿題は済んだのか」
「少しは外で遊べ」
「片付けてから読め」
大人は勝手ですね。
読みたくもない本(大人が読ませたい本)を子どもに与えて時間を奪う。
「伝記を読んでえらくなりなさい」
「名作だから読んでおきなさい」
特にこのことは,時間を奪うばかりか,その年齢で読んでおもしろくなかったということから,生涯にわたってその作者の本を読むことを敬遠するようになるという真逆の結果になることもあります。本には「おもしろい!」と思う年齢があるのです。
このような邪魔をしなければ、子どもが本を読むようになるための道は開かれるのではないでしょうか
大の読書嫌いが大の読書好きへ
さて,ここからは私の話になりますので,興味のない方は読み飛ばしてください。
私は,今,ちょっとした空き時間を利用して少しでも読書を進めようととりくんでいます。
【読書】できるだけたくさんの本を読むために,今やっていること | 知的生活ネットワーク
本を読むことがとても好きです。週末には10時の開店とともにジュンク堂に入り,そのまま午後まで平気で過ごしています。本に囲まれるのがとても好きで,自宅の書斎も少しでもよい本でわが身を囲いたいと思っています。
しかし,子どもの頃の私はまったくそうではありませんでした。全然本を読まない子どもだったのです。
フィクションの世界に入り込んでいくことがでず,つくり話の何がおもしろいのかわかりません。意を決して読もうと思っても,2,3ページ読んだだけで,もう眠たくなってしまっていました。
フィクションはだめでしたが,図鑑を見るのは大好きで,みんなが小説をにこにこしながら読んでいるその横で,私は図鑑を眺めていました。
では,私はいつからこのような本好きになったのでしょうか。
「本を読むことは楽しいことだ」と感じたあの日
本を読むということはとてもおもしろいことだと思ったきっかけは,中学3年生のときにありました。あれは受験勉強の最中でした。毎日毎日の受験勉強に飽き飽きしてしまった私は,何気なく子どもの頃の私に両親が書棚にそろえてくれていた世界文学全集をとりあげてみたのでした。つらつらと眺めているうちに,いつのまにか引き込まれていました。気づいたら,いすに腰掛けて読みふけっていました。おもしろくてたまらないのです。分厚いその本を,私は一気に読み上げてしまい,さらに2冊目に手を伸ばしました。
本を読むことがこんなに楽しい,おもしろいものだと,そのときはじめて理解したことを覚えています。
たまたま,その本は小学生向きでした。それを中学3年生がおもしろがって読んでいるのです。でも,お気づきだと思いますが,それでいいのです。いくら中学3年とはいえ,私には小学生向きのその本がおもしろかったのです。逆に言えば,小学生時代の私には,その本は面白くなかった。だからちょっと開いただけで読みもせず,ずっと何年も書棚に眠っていたのです。その本は書棚に並べられてから,私におもしろいと思って読まれるまでに5年ほどはじっと待っていたことになります。そして両親も。
待ってくれた両親に感謝
これを,小学生向きだからという理由で,両親から毎日無理やり今日は5ページ,などと言って読まされていたらいったいどうだったでしょうか。私はきっと,大の本嫌いになっていたことと思います。本は苦痛を与えるものだと,心に植え付けられてしまったでしょう。身の毛がよだちますね。
私に読書を強いなかった両親に,今は深く感謝します。私のことをじっと待っていてくれたのですから。
それからの私は,すっと大の読書好きになったわけではありません。高校は高校でさらにいろいろと解決しなければならない個人的な課題が山積みで,私の場合はそれは読書ではなかった。高校3年間を通して,ほとんど読書と言えるようなことは,宿題を抜きにしてはありません。でもずっと「読書は楽しいもの」という感覚はわすれることはありませんでした。
おかげで今の私があります。「読書が楽しい」という感覚が,ある瞬間に発火してくれたのです。私の話はここまでです。
まとめ
とにかく,答えは遠くにあります。子ども時代にまいた「準備」という種や「邪魔を除く」という種が実を結ぶのはずいぶん先だと考えて,あとはじっくり子どもと一緒に本を楽しみながら待つのがいいでしょう。
小学校の教師を33年間勤めています。
渡部昇一氏の「知的生活の方法」を読んで以来,忙しい中にも知的生活を求め続ける人生を送りたいと思ってこれまでやってきました。
2008年よりブログ「知的生活ネットワーク」をやっています。
BLOG:知的生活ネットワーク
Twitter:@Lyustyle